開山恵空上人の感得の仏像と云われる御本尊阿弥陀如来は、室町時代初期の作で、木造の寄木造である。高さ三尺(1.02米)で、被爆を逃れて創建当時のお姿である。
原爆で焼失した脇侍仏の観音菩薩と勢至菩薩は平成17年に西村公朝監修のもと佐川中定仏師により復元された。
本堂内陣の須弥檀には、本尊の四方を四天王が守護し、脇檀には、釈迦苦行像と法然上人厨子像が安置されている。
後堂には、右側に善導大師像、左側に法然上人像、中央には毛利輝元公や歴代上人、そして檀信徒の位牌が祀られている。
寺宝には、春日局筆と伝えられる地蔵菩薩画像などがある。
茶友である松花堂昭乗筆画(逸翁美術館蔵)を基に日本伝統工芸会会員の人形師・中村信喬の作である。
高さ22センチ幅25センチの像は策伝上人の豪快な人柄を表している。
本堂に安置されている木像で檀家の木村明刀作である。
令和元年12月に制作され、高さ21センチ幅23センチの像は、策伝会法要の本尊として鎮座している。
創建400年を記念して復元された。 安楽庵釜は車軸釜の形式で、丈の高い甑口には七宝繋紋があり鐶付は松笠、蓋は共蓋、掻立鐶摘みである。胴回りは、一面に「安楽庵」と写し、他面の本歌は「奉寄進、釜屋、弥右衛門入道」であるが「創建四百年、誓願寺、弘空」と自筆している。
重要無形文化財である角谷一圭師の門下である手塚圭成師によって作製された。
名物裂の一種で、伝えによると祇園祭に巡行する山の一つ「行者山」の装束につかわれていたもので、策伝の寄進になるものといわれる。文様や種類は雑多で統一的な特色はないが、一般に17世紀初頭以後のものが多い。
創建400年を記念してつくられた安楽庵裂は牡丹唐草金襴で色は丹である。 安楽庵策伝が愛用された貴重な裂地で「安楽庵裂」や「誓願寺裂」と云われている。
原爆で全焼して、昭和38年に再建した際に、残った被爆品は、釣灯籠と、水盤石である。
釣灯籠は、本堂の四方に掛けてあったものの一つで高さ30センチの鋳物製で、さびが被爆を語っている。
水盤石は社前に有り、天明3年(1783)2月と刻印してある。裏右角は原爆で欠けている。
日本画家 森山越山 作の「釈迦涅槃図」を展示している。