広島市西区三滝のお寺「紫雲山 光照院 誓願寺」

誓願寺の歴史

誓願寺の概要

誓願寺は紫雲山、光照院と号し、天正18年(1590)10月15日に策伝上人の意向を受けた毛利輝元公が材木町・現在の平和公園の地に開基した。

開山の恵空上人は京都本山誓願寺より天智天皇御宸筆を賜り寺号を誓願寺とし、毛利家の菩提寺と成った。御本尊は阿弥陀如来で浄土宗西山派に属す。

境内地は、約3,200余坪に本堂、釈迦堂、阿弥陀堂、鎮守堂、開山堂、厳島大明神、位牌堂、経蔵、鐘楼、茶室と高さ13米、幅9米もある壮大な大門を有し、国泰寺、本願寺別院と共に広島の三大伽藍に数えられていた。
江戸時代には灯明番として妻帯寺16坊があり、鎖守社門として毎年三回「武運長久・国家安全」の祈祷を行い霊符を藩主に納めていて、寺格は准檀林で別院と称された。

池に亀、伽藍や境内には鳩が多く、市民に親しまれていたが、爆心地より400米のため、昭和20年(1945)8月6日の原爆で灰燼に帰した。

昭和38年(1963)5月3目、現在の広島市西区三滝本町に本堂、書院、客殿、茶室「策伝庵」、庫裡、山門が再建された。創建400年を記念して、平成3年(1991)11月23日に書院と庫裡を改築し、書院には会館「無得殿」と茶席「陽善庵」が新設された。

境内には、毛利元道寄進の昭和天皇お手植えの松や法然上人お手植えの誕生 寺銀杏、五つ子の名付け親で有名な京都清水寺貫主大西良慶和上ご染筆の門柱、 被爆した水盤石と釣灯篭、佐東町原爆供養塔、そして上田宗箇の長女田辺殿の位牌や四代目宗箇松がある。