広島市西区三滝のお寺「紫雲山 光照院 誓願寺」

誓願寺の歴史

戦後〜再建

昭和20年8月6日の原子爆弾により、広島と共に誓願寺全伽藍は、一瞬にして灰塵に帰した。
爆心地より約400メートルの為、一部の石塔や墓石、現存する水盤以外は焼けたが、幸いにも御本尊阿弥陀知来や当山過去帳他軸物は、末寺に疎開していて難を逃れた。

誓願寺跡地は、復興計画で平和公園となり、本山より特命住職として赴任した25世視空上人は替え地に本堂兼庫裡を建てた。約2300基在った墓は、復興局の方針に従って、約500基ほど市営の三滝墓苑に移転した。残る約1800基の多くは無縁の寄せ墓とされた。

昭和38年5月、現在地の広島市西区三滝本町に、本堂、書院、客殿、茶室、庫裡、山門を再建した。落慶法要には、毛利家70代当主毛利元道様を始め、京都清水寺大西良慶貫主が臨席され、感激の法要が行われた。約700坪の境内には昭和天皇お子植えの松や、法然上人お子植えの銀杏も青々として、山門、池、茶室等が僅かに往時の誓願寺を忍ばせている。

平成3年、誓願寺は創建400年を迎えた。すでに遷化された清水寺貫主大西良慶猊下御染筆の誓願寺の御門柱は黒痕いよいよ冴え、法然上人お手植の銀杏も鮮やかに色づいている。策伝上人ゆかりの茶室は、上人好みの席で、三畳台目で二畳の相伴席があり、織部や遠州好みと伝えられる八窓席で、「策伝庵」と呼ばれている。

誓願寺正門 平成24年2t月撮影