広島市西区三滝のお寺「紫雲山 光照院 誓願寺」

誓願寺の歴史

原爆による焼失

原爆投下前と投下後

昭和20年8月6日午前8時15分、誓願寺より約400メートルの相生橋上で人類初の原子爆弾が投下された。
その瞬間に、誓願寺は、灰燼に帰した。そして第24世願空準弘上人は遷化され、夫人も亡くなられた。誓願寺の本堂や有名な大門などの伽藍は、跡形も無かった。鳩や亀も絶滅したのに違い無い。本当の焼け野原と成り、残ったのは、痛んだ墓石や溶けた金属であった。その原爆で焼けた釣灯篭や水磐石が、今も誓願寺に残っている。

溶解した菩薩(平和資料館展示)

現在、平和資料館には、誓願寺境内にあった地蔵菩薩の首が展示されている。熱線によって熔解したものである。
又、境内で発見された黒焦げの弁当箱などがある。

誓願寺墓地には、建物疎開作業に出動していて被爆した安佐郡川内村の人たちの供養塔がある。被爆した川内村の人たちの休憩所であったことなどから、誓願寺へ昭和26年に建立されたものである。